高石ともや:🎤🏃‍♂️歌と走りで人生を駆け抜けた伝説のフォークシンガー

手前に観衆。舞台の上にはギターを弾くシンガー。

こんにちは、@kemiです!今日は少し寂しいニュースをお届けしなきゃいけません。でも、素晴らしい人生を讃えることもできるんです。

目次

😢 悲しいお知らせ

フォーク界のレジェンド、高石ともやさんが17日に82歳で旅立たれました。病気と闘っていたそうです。北海道・雨竜町出身のこの歌の魔術師、1966年のデビュー以来、日本のフォークソングシーンを引っ張ってきた巨星が、ついに瞬きました。

🎵 歌の力

みなさん、「受験生ブルース」って覚えてます?1968年、この曲で高石さんは一気にブレイク!私なんて生まれる前の話ですが(年齢はヒミツ😉)、親がよく口ずさんでいたのを覚えています。

でも、高石さんの音楽はそれだけじゃないんです。実は、高石さんの反戦歌に強く心を打たれた経験があるんです。ラジオで一度聞いただけなのに、その歌が忘れられなくて…。曲名がわからず、でも絶対に忘れたくなくて、パーソナリティーが「高石ともやさんでした」と言った瞬間、歌手名だけ忘れないように窓ガラスに書いちゃったんですよ!(今思えば、ちょっとやりすぎだったかも😅)

今回の悲しいニュースをきっかけに、高石さんの歌をひとつひとつ聴き直してみようと思います。あの心に響いた曲、絶対に見つけ出してみせますからね!

🏃‍♂️ 走る歌手

そして驚きなのが、高石さんのランナーとしての一面!30歳で初めてマラソン大会に出場してから、まるで止まることを知らないかのように走り続けました。

特筆すべきは、ホノルルマラソン。なんと36歳から78歳まで43回連続出場!さらに81歳でも出場したんです。私なんて階段を上るのもヘトヘトなのに…😅 高石さんのエネルギッシュさには脱帽です!

引用:アメリカ横断マラソン・高石ともや公式HPより

💖 高石ともやさんの言葉

最後に、高石さんの美しい言葉を紹介させてください。

そっと微笑を誘う野の音色でありたい。
この世の移り変わる姿を見下して、
立ち続ける白樺の唄でありたい。
さゝやかな小川が、水を呼んで
大河となるハーモニーでありたい。
ブルーグラスでありたい。
クラッシック(古典)でありたい。
デキシーランド・ジャズでありたい。
演歌でありたい。
民謡でありたい。
フォーク・ソングでありたい。
子供のうたでありたい。
ひたすらに唄でありたい。
音でありたい。
楽しみでありたい。
人間でありたい。

                 高石ともや公式ホームページより

なんて素敵な言葉…。高石さんは最後まで「歌とともに人間らしく」あり続けた方だったんですね。

🌟 さいごに

高石ともやさん、あなたの歌と生き方は、きっとこれからも多くの人の心に響き続けるはずです。ご冥福をお祈りします。

みなさん、今日は高石さんの曲でも聴きながら、大切な人と過ごす時間を作ってみませんか?人生って本当に素晴らしいものだって、きっと実感できるはずです。

私も高石さんの曲を聴き直しながら、あの忘れられない反戦歌を探す旅に出ます。見つかったら、また皆さんにお知らせしますね!

それじゃあ、また次の記事でお会いしましょう!エンタメ情報、まだまだたくさんありますからね!👋✨

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